盲目的な生存意思

膵臓癌の痛み対策として、オキシコンチンの錠剤を使用していたが、副作用の便秘が酷いので、フェンタニルパッチという貼り薬に変更して頂いた。

実際に使用してみて便秘の解消に効果があった。しかも、鎮痛効果も錠剤より効果があるようで私の体質には貼り薬の医療用麻薬が合っているようだ。

但し、傾眠傾向が強くなるので、貼ってすぐに車の運転はしないほうがよい。

背中の痛みが酷いので多めに医療用麻薬を処方してもらっているのでかなりの医療用麻薬が手元にある。これらをオーバードーズしてアルコールを多少摂取すれば絶命出来そうだ。

しかしながら私は自殺は否定する立場であり、どんな激痛にも耐えようと考えている。

何故なら私は自分の意思で生まれたわけではないと考えており、その出生との整合性を取りたいからである。なにゆえに、死ぬ時だけ自分の意思で行おうとするのか?

その意味では、日常の生活で努力があればどうにかなるとか、気の持ちようで世界は良くなる、病気も良くなるという考えは好きではない。

ショーペンハウアーも言っていたではないか。

「運命がカードを混ぜ、我々が勝負する。」