骨髄抑制

先日、2回目の抗がん剤治療でした。白血球の数が、予想以上に減っていました。

その日の抗がん剤はなんとか出来たのですが、治療スケジュールを3週1休みから、2週1休みにするとのことです。

その後、栄養士との面談があり、食生活についてのアドバイスをいただきました。

食べ物によって白血球を直接的に増やすことは難しいので、なんでもバランス良く摂ることが大切であるようです。

なんだか、誰でも言えるアドバイスだなぁと少し思ってしまいましたが、私は大袈裟なくらい頷きながら聞いていました。

それと白血球を減らさないためにも、人混みに行かない、手指消毒をこまめにする。

生物はなるべく避けて食品はよく洗うのも大切とのことです。

 

メタファーとしての膵臓癌

自分がどうして膵臓癌になってしまったかを考えてみると、世間での自分の振る舞い、

立ち位置に思い至る。

自分は学生時代を含め、社会で働くようになってからも、自分の居場所をうまく作れず、いつも隅っこのほうで鬱屈の塊のような存在であった。

 

端的に言えば、他者との交際がうまくいかず、いつも独りぼっちであった。

 

心の片隅には、夏目漱石の「行人」の主人公、一郎が「死ぬか、気が違うか、それで

なければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」

これと同じ思いが、高校生の頃からあった。数少ない知人、友人は自殺を断行できた者も、意図せず、統合失調症になった者も、カルトと言われていた宗教に入って、

行方不明になっている者もいたけれど、自分にはその覚悟もなく、単にだらだらと

微温的でくだらない人生を50年以上も続けたというわけだ。

 

そして今、今、自分の膵臓に巣くっているという10センチある癌腫瘍というものは

まさに自分にとっての「他者」「社会」であると感じる。

もう無理をして「社会」に出る必要性はないんじゃないのか。

なにしろ私の腹の中には「他者」がしっかりと存在しているのだから。

退行

思っていた以上に副作用がある。

特に便秘が酷く3日間ほとんど出ない。

便秘薬は4種類あるのでなんとかなるとは思う。

背中、腰の痛みはオキシコンチンを飲んではいるが、相変わらず痛い。

特に夜間に痛みは酷くなり、2時間以上続けて眠れない。

痛みにイライラして思わず、90近い母に

「なんで俺を産んだんだ、生まれなければこんな苦しみは無かったよ」

と言ってしまった。

私は現実に命が絶える前に人間としては終わってしまったようだ。

抗癌剤始まる

膵臓癌の宣告以来、2ヶ月間くらい治療が始まらなかったので不安でした。

背中の痛みが少し軽くなった気がしますが、そんな早く効果を実感するのはあり得ないのかなとも思う。

副作用もまだ重いものはなく、早く来週やりたい感じであります。

あくまで余命治療とは言え、痛みから解放されたいのであります。